私の教室は、2018年に「キッズピアノサークル」という小さなサークルからスタートしました。最初に教えた生徒さんは、娘の同級生。そこからありがたいことに口コミだけでたくさんの生徒さんが集まり、やがて「空庭ピアノ&リトミック教室」へと改名。これまで多くの子どもたちと、音楽への第一歩を一緒に歩んできました。
ピアノを弾く楽しさ、音楽の素晴らしさ、そして教室中にあふれる笑顔。どの場面を切り取っても、私にとっては日々の大切な宝物です。
そして2025年、教室名を「ソラニワミュージック」と改め、新たな章をスタートさせました。
これまで積み重ねてきた経験と、変わらぬ音楽への情熱を胸に、時代に寄り添いながら、より良いレッスンを皆さまにお届けしてまいります。
現在、私の教室には1歳のお子さまから80代の方まで、幅広い年齢層の生徒さんが通ってくださっています。
音楽の楽しさを、
もっと自由に、前向きに
ピアノを始めるきっかけは人それぞれですが、その根底には「音楽が好き」「音楽を好きになってほしい」という気持ちが必ずあります。
けれど、いざレッスンが始まると、楽しいはずの音楽やピアノが「練習、練習」で苦しいものに感じられるようになることがあります。そして保護者の方も、「練習しなさい」と言い続けることに疲れてしまい、いつの間にか負のスパイラルに陥ってしまう——そんなお話をよく耳にします。
ソラニワミュージックでは、目標を持って前向きに練習に取り組める子を育てています。
せっかく教室に通うのですから、学校での音楽活動に活かせるように、また音楽の成績アップにつながるアドバイスも行っています。
音楽に出会う「わくわく」や、演奏する楽しさを、子どもたちにも、大人の皆さんにも、感じていただきたいと願っています。
私が「幸せだな」と感じるのは、今まで一度も音楽が嫌いになったことがないということ。
音楽の楽しさを伝えることこそが、私の使命です。
ぜひお気軽に、音楽の世界への第一歩を踏み出してみてくださいね。
まずは、体験レッスンに来てみませんか?
ピアノとの出会い
幼少期の私は、とにかく泣き虫だったそうで、幼稚園時代はいつも担任の先生に抱っこされるほどの甘えん坊でした。担任の先生がピアノを弾くときは、誰よりも先生のそばにいたというエピソードを聞いた母が、「この子は音楽が好きなのかもしれない」と思い、ピアノを習わせてくれることになりました。
当時、自宅にはピアノがありませんでしたが、私が生まれる前に叔父と母が使っていたアップライトピアノが祖母の家にあったため、そのピアノで練習をしていました。
4歳から個人のピアノ教室に通い始め、ピアノのほかに水泳、そろばんも習っていました。さらに塾や小学校の合奏クラブにも所属し、毎年冬には家族でスキーに出かけるなど、さまざまな活動をしていました。
幼い頃からずっとピアノの先生に憧れを抱いていた私は、家ではいつも「ピアノの先生ごっこ」で遊んでいました。
学生時代、どんなに忙しくても、ピアノの習い事だけは「辞めたい」と言ったことがなかったそうです。
とはいえ、「どうやって遊ぶ時間を作るか?」ばかり考えていた私は、お世辞にも勉強熱心とは言えない学生でした。
音大への進学を考え始めたのは、高校時代、進路に悩んでいた頃のこと。「机に向かうより、ピアノに向かうほうが自分には合っているかも」という軽い気持ちで、担任の先生に相談したのがきっかけです。学校生活では真面目に過ごし、ほとんど欠席もしていなかったため、音大への推薦枠をいただくことができました。
音大受験を決めてからは、当時お世話になっていたピアノの先生のレッスンに加え、その先生の師匠である東京の音大教授のご自宅にも、月に数回通わせてもらうようになりました。
片道3時間かけて日帰りでレッスンを受けて帰ってくる生活。駅まで迎えに来てくれた車の中で「つらい…」と父にこぼすと、「やめたかったら、やめていいんだぞ」と一言。
「話を聞いて、励ましてくれる」と思っていた私は、まったく違う言葉が返ってきて驚きました。そのときの気持ちは今でも忘れられません。
それ以来、「親に弱音は吐かない」と心に決め、頑張り続けた結果、見事、埼玉の音楽短大に進学が決まりました!
上京の際、両親と交わした約束は
「学校の先生になって、必ず戻ってくるからね」
というものでしたが、教員採用試験には合格できず、音大卒業後は一般企業に就職しました。
卒業旅行で訪れたイタリア・ローマは、私にとって人生初の海外旅行でもありました!
一般企業への就職
音楽しか知らなかった私にとって、会社勤めの毎日はすべてが新鮮でした。社会人としてのルールや、世間一般の常識なども、この期間にしっかりと身につけることができました。
会社員として働いたのは6年間。気づけばピアノに向かう時間も少なくなり、一人暮らしの部屋に置いていたピアノも、いつの間にか実家に送り返していました。
結婚〜出産〜育児
27歳で結婚し、2人の子どもを出産しました。
私の両親は共働きだったため、幼い頃から「専業主婦」への憧れがありました。学校から帰ると「おかえり」と言っておやつを出してくれる生活。習い事に付き添ってくれる生活。夏休みは毎日ママと一緒にいたい——そんな願いをずっと持ち続けていた私が、奇跡的にその願いを叶えてくれる旦那さんと出会えたのです。
そして、かつて私が親にしてもらいたかったことを、自分の子どもにしてあげられるようになりました。
子どもの成長は本当にあっという間。どの瞬間もこの目で見守りたい。経験させたいことは全部やってみよう。とにかく後悔しないように、育児に全力で向き合いました。
「ピアノ講師」の原点
完全に専業主婦となった私を、再び音楽の世界に引き戻してくれたのは、当時娘が習っていたピアノの先生でした。
自宅の近所にあるピアノ教室だったこともあり、娘の友達もたくさん通っている人気の教室。ある日、娘の幼稚園の卒園式で「クラス代表でピアノ伴奏ができるママを探している」と、ママ友からお願いされました。断れない性格の私は、つい引き受けてしまったのです。
その話を聞いた娘のピアノの先生から、
「一緒にピアノの先生、やってみない?」
と声をかけていただいたことが、私のその後の人生を大きく変えるきっかけになりました。
それこそが、今の私の原点です。
当時は娘の保護者として毎週レッスンに付き添っていただけでしたが、次第にそのピアノ教室の発表会でのお手伝いなども任せていただくようになっていきました。
“ソラニワミュージック”と
共にこれからも
娘が小学生になった頃から、娘の同級生のピアノレッスンをお願いされるようになりました。そして2018年、「キッズピアノサークル」という小さなサークルを立ち上げました。
そこからの歩みは、本当にあっという間でした。地域のお子さまたちや親御さんと一緒に、お教室を育て、大きく成長させていく日々。指導法や演奏法、リトミック指導法など、興味のあるセミナーには、現在も時間の許す限り参加しています。
娘のピアノの先生とのご縁から、翌年には合同発表会を開催させていただく機会もいただきました。サークルを立ち上げたばかりの頃の私にとって、ホールでの発表会はまさに夢のまた夢。初めての発表会は、感動の連続でした。
リトミックとの出会い
コロナ禍により、ピアノの対面レッスンが思うようにできない日々が続きました。社会全体の流れの中で、音楽教室も対面からオンラインレッスンへの切り替えを余儀なくされ、ピアノ講師にとっても試練の時期となりました。
そんな中、少しだけ時間ができたこともあり、以前から気になっていた「リトミック」を学びに行くことを決意。小さい頃はあんなに勉強が好きではなかったのに、大人になってから「もっと学びたい!」という気持ちが芽生えたことには、自分でも驚きました。
リトミック研究センターで2年間学び、「リトミックといえばこの先生」と言われる、日本こども教育センターの井上幸子先生のもとでも学ばせていただきました。同時に、ピアノ講師として1年半勤務も経験。
当時のスケジュールは、平日(月〜金)は自宅で夜までレッスン、土曜日は朝から夜まで都内の音楽教室で勤務。週6日びっしりのスケジュールでしたが、「楽しい」と感じることがあれば、どんなに忙しくても乗り越えられるものです。
そして2024年からは、「子どもたちやママたちの笑顔が見たい!」という思いで、リトミックの活動も本格的にスタートさせました。
学びが尽きない限り、“ソラニワミュージック”はこれからも、時代のニーズを取り入れながら、進化を続けていきます。